インタビュー:日本人ジョッキー 柳田泰己 騎手

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2021年6月号掲載

どんな苦境も、勝つ瞬間の喜びのために

オンラインで海外の競馬も気軽に楽しめる世の中。海外の日本人ジョッキーの活躍は、日本のメディアや競馬ファンもにぎわせている。ニュージーランドにも、名を馳せ始めているジョッキーたちがいる。
18歳で乗馬を始め、ジョッキーを目指して海外へ挑戦に出た柳田泰己騎手に話を伺った。

ギャンブルせずに競馬に魅了され

霧がかった朝8時の牧場で、遠くに何頭もの馬が歩いたり走ったりしている姿が見える。朝4時から始まる調教の真最中だ。9時過ぎに騎手3人が談笑しながら、カッポカッポと乗馬を楽しむかのように廐舎に戻ってきた。そのうちの一人が柳田泰己騎手だ。ニュージーランドで屈指の廐舎に所属し、着々と勝ち鞍を上げている柳田騎手だが、ここまでの道のりは長く平坦ではなかった。

騎手を目指したきっかけは、高校2年でブリスベンに短期留学した時のこと。

「競馬好きの友だちに連れられて、初めて競馬場に行った時、広大な場内をさっそうと駆ける馬の姿は美しく、ジョッキーがとてもかっこよく見えました」
母親にギャンブルは絶対にダメと言われていたが、純粋に競馬場で見た光景に魅了されたのだ。

この日から、どうすれば騎手になれるか調べ始める。入学資格が18歳まで、体重46.5キロ以下だった競馬学校は断念。姉の支援もあり、自宅から通える乗馬クラブで、週に数回馬に乗ることから始めた。「騎手になりたければ大学卒業を」が親からの条件だったため、大学に進学するが騎手になりたい気持ちを抑えきれず、1年で休学を決意。競走馬の育成牧場、鳥取の大山ヒルズに「仕事をさせてほしい」と門を叩いた。

「競馬学校に行かず、JRAとのつながりもないと入り込みにくい日本の競馬界なので、大山ヒルズへも飛び込みという形でした」

形通りの道ではなく、年齢制限のない海外で騎手になることに照準を合わせ、柳田騎手は進み始めた。

海外で受ける逆風

大山で気性の激しい競走馬の扱い方や乗り方を学んだ後、2013年11月、豪州へ。「外国人がジョッキーになれるのは、オーストラリアかニュージーランドだけでした」と言うが、もちろん道が用意されているわけではない。

「競走馬も扱う、騎手になれる」と言われて入った乗馬クラブでは、働かされるだけで馬に乗らせてももらえなかった。別の廐舎に移るが、「お前には才能がない」と言われたり、肌の色のことを言う人もいたりと、苦境は続く。ようやく、評判の良いトレーシー・バートリー廐舎で雇ってもらえることになる。

「オーストラリアで初めて本当の競走馬に乗り、教え込んでいただきました。トレーシーは騎手免許のためにワークビザ取得に尽力してくれましたが、キャリアが足りずにビザは取得できず。延長した2年間のワーキングホリデービザも切れ、学生ビザに切り替えました。でも街の学校と廐舎が遠く、続けることは難しいことでした」

そんな時、北島のマタマタで親戚が始めた廐舎はどうかという話をもらい、ニュージーランドにたどり着く。しかし、オーナーが若いせいか、ずさんな運営で満足のいく環境ではなかったようだ。

チャンスがめぐってきた!

トレーニングの牧場は複数の廐舎と共有して使っており、ほかの廐舎の調教師ともあいさつをする程度の面識はあった柳田騎手は、ある時、ウェックスフォード廐舎のランスさんから声を掛けられた。

「うちの馬に調教に乗りに来いと言っていただきました。毎日2回位ランスの馬に乗る習慣ができたころ、今の廐舎の問題点を話したら、うちに来いと言ってくれたのです」

淡々と語るが、〝ランス・オサリバン〞といえば、競馬界のレジェンドだ。1989年のジャパンカップでホーリックスに乗馬し、オグキャップに競り勝った名勝負で有名だが、引退後は屈指の調教師であり、メリット勲章を受章、競馬・スポーツ界の殿堂入も果している。そんな師匠の元、2017年12月念願のジョッキーデビューを果たし、今では愛弟子、騎馬依頼も増えている。

「ランスは、普段は冗談も言うおもしろい方ですが、レースの話となるとさすがに違います。タフネスを養い、強靭な精神力を必要とする職業ですから。オサリバン廐舎の仕事は厳しいものです。1〜2週間で挫折する人もいますし、見習い騎手の中では4年いる僕が一番長いですね」

柳田騎手の初勝利馬 Jewel Of Patch 号とランス師匠

運命の人は、リスポリ騎手

あきらめずに騎手を目指し続けたモチベーションの源は何だったのか。大学入学の直前、イタリアのウインベルト・リスポリ騎手が阪神競馬場のG1レースで優勝したところを目の当たりにした時を振り返る。
「当時22歳のさんは、ゴールした時、こぶしを振り上げ雄叫びを上げて喜びを表し、インタビューでも本当にうれしそうでした。騎手という仕事はこんなに感動できるものなんだと、胸が熱くなりました」

リスポリ騎手に一目会いたいとダメもとで連絡すると、帰国の便に乗る直前に空港で会ってくれることに。「本人に会い、すごい目力でパワーを感じ、『やりたいのは、この仕事だ』と心を決めたんです」

実力だけがモノをいう騎手業で

騎手界は実力主義の世界。柳田騎手の目標も、重賞* に勝つことだ。
「目標は、騎乗回数を増やすというより、良い馬に乗れるよう勝ち数を上げていくこと。来年には通算149勝し、見習いからシニアジョッキーになること。日本やオーストラリアでも騎乗したいですね」

これまでで一番うれしかったことは何かと尋ねると「全部の勝利がうれしかった」と答えた。
「競馬は10回に1回勝てたらいい方で、負けることが圧倒的に多い職業です。勝つ瞬間のために、騎手もスタッフも馬に多大な労力と気持ちを注ぎこみ、騎手に対しても思いを託してくれています。勝つ瞬間はそれが頭をよぎりますし、みんなが喜ぶ姿を見ると本当にうれしいです」

「故障した馬は殺されることもあり、動物愛護の面で残酷な部分もある世界ですので、一頭一頭に感謝の気持ちと敬意を忘れません」とも。

競馬学校から進む王道ではなく、自力で道を切り開いた柳田騎手は、この挑戦に充実感を感じている。
「運もありますが、海外の方がどんな仕事でも、自分が努力した分だけチャンスをつかみやすいと思います。日本では周りに合わせるべきという風潮だったので、自分らしくいられるニュージーランドは最高です」

※最上級の看板レースで、G1 ~ 3まであり、G1 は最高格付け。

~柳田騎手の騎手ライフ~

調教

廐舎での日課は、朝の3時45分に始まる。約10頭の馬を順番に調教し、その間ジャケットを着こみ、汗をかいて体重を維持させている。午後は馬をウオーキングマシーンに。

体重維持

食事は朝昼一緒で炭水化物を少量、夜は野菜中心に肉や魚を。
外色は控え日本食を自炊。アジアンスーパーで買ったあんこペーストをバナナなどに塗って食べるのがささやかな楽しみ。

肉体管理

騎手が乗っていないような気持ちよさで馬が走れるよう体幹とバランス力を鍛える。バランスボールや一本足のトレーニング、重い筋肉が付かないようにラバーバンドで筋トレを行う。

毎日決まった時間に馬部屋の掃除を始める
日本好きな一面もあるランス師匠
調教後、話をしながら馬を洗うランス師匠と柳田騎手
日本人ジョッキー
柳田泰己 騎手
Taiki Yanagida

1993年11月 日生まれ。千葉県松戸出 。ワイカト・マタマタのウェックスフォード・ステイブルズ所属の騎手。2017年12月にニュージーランドで騎手デビューし、1カ月足らずの2018年1月に初勝利を果たす。5月21日現在110勝を上げている。



取材・文 GekkanNZ編集部