インタビュー:50歳を過ぎてから 見つけた人生のおまけ

50歳を過ぎてから 見つけた人生のおまけSPORTS

2022年11月号掲載

今年9月にファンガヌイで行われたオセアニア・アーティスティック・ローラースケート選手権大会に出場し、マスターズ・レディース・フィガーズの部で金メダルを獲得し長年の夢を叶えた馬場さん。年齢を超えて、人生を楽しむこと、何かに挑戦する姿、ローラースケートを通じてたくさんの方と楽しむ様子がこのQ&Aからも伺えます。

Q.ローラースケートを始めたきっかけはなんですか?

年前、ネルソンで毎週末行われているローラースケートの初心者クラスがあり、まだ幼い娘2人が父親に連れられて参加してました。そのクラスが終了した後も娘たちはローラースケートを続け、たまたまネルソンに戻ってきたクラブの元メンバーのアナの個人レッスンを始めることになりました。週末のクラスレッスンから平日の個人レッスンになり、送り迎えは夫の役目だったのですが、これを境に私が子どもたちをリンクへ連れていくことになりました。8月の寒い時期に、レッスンが終わるまでじっと座って見ているのも寒く退屈なので、リンクの空いているところをぼちぼち滑りだしたのが私のローラースケートの始まりです。

Q.趣味からどんな経緯で大会出場までに至ったのですか?

2010年に長女の国際オセアニア大会初出場が決まった時、私には人前で滑る勇気はまだなく、趣味のつもりでローラースケートをしていました。でも上達するにはただ滑っているだけではどうにもならないと思い、その翌年から地区大会や全国大会に出場するようになりました。その頃に受けたメダルテストでは、一度にメダル1と2の2階級合格をいただきました。この結果を喜んでくれた当時のコーチであるパムがニュージーランドスケート連盟の規定を調べてくれ、マスターズ・レディース・フィガーズの部はオセアニア大会の選考参加資格がメダル2の取得が必要だということがわかりました。パムの励ましにより、2012年にオセアニア大会初出場を果たすことができました。

それ以来、色々な事情で大会に参加できない年もありましたが、2015年のブリスベン大会で銅メダルを獲得し、そこでいつかはオセアニア大会のタイトルを取ろうと思いました。コーチのパムがネルソンから去り、ウェリントンから不定期で来てくれるイメルダのレッスンだけが頼りとなり、指導のお陰で少しづつ進歩はするものの、全国大会の成績は毎年3位で終わりました。2021年7月の全国大会の後、違う色のメダルを目指すためフォームを本格的に変えることに取り組みました。

Q.9月末に行われたオセアニア大会の意気込みや金メダルを獲得された心境はどうですか?

2019年に膝を痛めて全く滑れず、大会も欠場した経験があるので、自分のスケート生命には限界があると感じていました。なのでやるなら今年しかない!と練習に励みました。今年7月の全国大会では3位でしたが、1位との差は以前より縮まり満足のいく結果だったのでオセアニア大会の参加を決めました。そんな時、8月初めのネルソンのリンクでタラに出会いました。タラは長女と同い年で、ニュージーランドの代表的なスケーターとして活躍した人です。仕事の関係でネルソンに引っ越してきたそうで、これは最高のタイミングだと思いました。オセアニア大会まであと2ヵ月にして最高の登場人物でした。この偶然は神様からのプレゼントだと思い、迷うことなくコーチングを依頼し、彼女との練習に真剣に取り組みました。2人で練習の時間を合わせ、オセアニア大会まで彼女により細かなフォーム調整をし無駄な動きを排除するなど、全11回のみの練習でしたが私のローラースケートはどんどん磨かれていったようです。

大会当日、成績は2位を大きく引き離して1位でした。ニュージーランドのチームコーチとして見守ってくれたイメルダは「ほとんどミスが見当たらないパフォーマンスだった」と喜んでくれました。試合を見ていたニュージーランドチームのみんなをはじめ、大会に参加していた娘やオーストラリアのコーチやジャッジの方たちまでが祝福に来てくれて、本当に信じられない光景でした。大会の決まりで、日本はオセアニア圏外なので正しくはオセアニアタイトルは私には与えられませんでしたが、実質上オセアニア・マスターズのトップの座に就いたことになります。大会を終えてから、あの試合をして、あの成績を叩き出したのが自分だというのがピンと来なくて、誰かに“あれは夢だったんだよ”と言われればそうだったのかと思ってしまうくらいでした。

2022年7月NZ全国大会にて、次女の実子さんと。
2022年NZ全国大会にて、長女のHayleyさん。
2022年のマスターズで、ついに金メダルを受賞。

Q.メダルを目指す上でコーチの存在は大切でしたか?

コーチが近くにいない練習を7年間もしてきたので、オセアニア大会に向けたタラの存在は大きかったです。今までのパムの手解き、イメルダの助け、自分で繰り返した沢山の工夫の土台がなければ、タラの指導を消化することは出来なかったし、大会前11回のレッスンだけではこんな奇跡は起こらなかったでしょう。

また、今回の大会のジャッジには昔コーチをしていたパムがいて、私のローラースケートを評価してくれました。パムも今回の金メダル獲得をすごく喜んでくれました。

Q.ここまで続けてこられた秘訣はなんですか?

家族の存在です。夫は私と娘たちのローラースケートに反対することは1度もなく、いつも側で応援してくれ、私の強い見方です。彼は針師をしているため、仕事の合間には私の膝の調子も見て、いつも早めの手当てをしてくれます。もちろん2人の娘がローラースケートをやってなかったら、今こうやって金メダルを獲ることもありませんでした。また、自分の性格がしつこくて諦めが悪いため、ここまで長く継続できたと思います。

Q.ローラースケートを始めるきっかけとなった娘さんたちは今も活動を続けているのですか?

現在、長女はフリースタイル、ソロダンスをしており、ネルソンローラースケートクラブの運営とコーチを一手に引き受けています。また選手としても国内大会に出場し続けています。次女はウェリントンのスケートクラブに所属しています。フィガーズ、フリースタイル、2018年にはソロダンスでジュニア世界大会に出場し、今も国際大会に出場をするなど活躍しています。

金メダル取得後にネルソンのリンクにてコーチのタラさんと再会。
2022年全国大会のネルソンメンバーによるshowスケート。
印字された2位を大きく引き離しての1位の成績には感慨深いものがある。

Q.NZに住み続ける理由は?

ニュージーランドの広い空と1年中きれいなビーチ、ゆったりした時間は何よりも大切に思います。ニュージーランドに来た27年前も日本に帰りたいとは思いませんでしたし、いつ考えてもやはりニュージーランドに移住して良かったと思います。

Q.これからの目標はありますか?

体調さえ許せば、オーストラリアのパースで行われるオセアニア大会に来年も出場したいです。私のオセアニア大会出場を許可し、サポートしてくれたワールドスケートジャパンに感謝しています。日本の連盟から与えられた国際試合用の日本チームのレオタードは宝物です。


マスターズ ローラースケート金メダリスト 馬場敬子さん
馬場 敬子さん
マスターズ ローラースケート金メダリスト

現在65歳、ネルソンに在住。京都府出身。1991年に結婚し、人と違う人生を探すため、日本語教師として半年間インバーカーギルに滞在。帰国後夫婦2人で1ヵ月間ニュージーランドを再訪し、1995年4月にネルソンに移住。子どもが通っていたローラースケートの影響でご自身も始め、数々の大会に出場。大会で着用するレオタードも一から手作りされている。



取材・文 GekkanNZ編集部