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「ニュージーランドの
環境法について」
「1991年、ニュージーランドで環境を守るための法律、 資源管理法(Resource Management Act
1991)が制定された。 革命的な法律として世界中の注目を集めたこの環境法について、 岐阜大学助教授で今回、ニュージーランド憲法システムの
研究のため現地調査に訪れていた近藤真氏にお話を伺った。
近藤真(こんどうまこと)
岐阜大学地域科学部助教授(憲法学) 1953年名古屋市生まれ。 名古屋大学大学院、1984年名古屋大学法学部助手を経て
1985年より岐阜大学。1996年ビクトリア大学留学。 留学後から現職。テーマはニュージーランド憲法の研究。 |
ニュージーランドについて関心を持ったきっかけ
ニュージーランドについて本格的に関心を持ち始めたのは非核法(注1)からでした。大国アメリカと軍事的に絶縁してまで非核法を成立させる国など西側の国の中では聞いたことがなかったからです。戦争放棄、核兵器の廃絶問題など日本でもさまざまな問題が話し合われ、人口の6割もの人々がが毎年原水爆禁止の署名を行いますが、それが何の効力も持たない。しかし、同じ先進国のニュージーランドでなぜそういう法律ができるのか、という疑問が調査を始める最初のきっかけでした。
'88年に国連へ聴衆の1人として行った際、自分の国での非核法の成立について熱心な演説を行うニュージーランド人女性を知る機会がありました。その印象はとても強烈で、名前さえ知らない彼女に会うためだけでもニュージーランドを訪れる価値はあるのではないかと思ったほどです。それまで私の専門はドイツの人権・労働問題で、環境問題については関心はあったものの、実際研究をしていた訳ではありませんでした。それから、このような何とも革命的な法律が出来たニュージーランドについて研究を開始する人間が出て来ないだろうかと願う日々が続きました。
当時、ニュージーランドの憲法自体を研究する憲法学者は日本国内には数少なく、ここで誰かがこの国について研究をし始めないと日本はさらに世界から遅れを取ってしまう…そういう焦りもあって、呼び掛け続けているうちに、そうだ、自分がやればいいのだと、ドイツの研究から転換することを決意し、早速ウェリントンにあるビクトリア大学への留学を目指しました。
'96年、ついにビクトリア大学への留学が実現、ニュージーランドの法律学を学ぶことになりました。私が留学する直前からニュージーランドの環境法である資源管理法(Resource
Management Act 1991)(注2)については日本でも関心が集まり始めていました。これは例の非核法と同じぐらい革命的な法律で、'94年には日本の環境庁もすぐに現地調査に訪れています。そして'95年には、他の法律関係について研究していた人たちの関心をも集め始め、イギリスなど世界各国がこの国の環境法について調査・研究を始めるようになりました。
日本とニュージーランド 環境の守られ方とその違い
日本では、環境保護に関する細かい基準があるにも関わらず、環境が守られていません。その理由は、日本では監視するシステムが弱く、また監視基準を決めていてもそれをさらにチェックして遵守して行くという措置が甘いからです。そしてひどい結果が出て初めて気付き、「誰のせいなんだ」と責任の擦り合いになることが多いのです。しかしニュージーランドの場合は環境を守る基準というものを最初から細かく決めることがありません。細かい基準を決めるためには、科学的分野での専門的な知識が必要となるのでそう簡単に決めることはできないからです。そのため、この国では監視する「手続き」を決めようということになっています。この「手続き」を数少ない専門家たちが常に監視することは難しいため、住民が監視するというシステムが生まれました。すべての環境問題に関し、住民の発言権を保障する。そして開発を行う場合は必ず住民の了解を得てから開発に取り掛かる。住民の反対があったり、了解が取れたあとでも住民の考えが変わってまた反対が出た時はただちに中止できるようにする。環境基準や政府のスーパーバイザーたちが環境を守るのではなく、住民が環境を守るというシステムです。
日本では全国にごく少数しかいない環境庁の職員が1億人以上が住む環境を監視するという立場にありますが、ニュージーランドの場合は環境を守る権限を国民に与え、開発に対する発言権を住民に保障しているので、住民の意見を無視しての環境開発はあり得ない話なのです。住民の多数が賛成したり、賛成するためにそれなりの合理的理由が伴えば、開発も反対も自由という訳です。
ニュージーランドでは、環境開発のプランが決まると、リソースコンセントと呼ばれる公聴会が開かれます。ここではすべての地域住民に発言権が認められおり、意見を述べるためには情報を知る権利があるということで、住民には前もって開発計画書が配布されることになっています。そして開発同意のための計画申請というものが配られ、意見のある住民に公聴会で提出してもらいます。そこでコミッショナーは多い時は何週間もかけ、意見を出した人一人一人から生の声を聞きます。それから住民の同意が得られたかどうか最終的な判断を下す訳ですが、合理的理由が説明できない限り、コミッショナーはこの開発に対して賛成とも却下とも判断することができません。判断が難しい場合、最終的には、公聴会に専門的な意見を述べるため出席している弁護士や科学者の代表の意見を聞いた上で、判断するという形になります。
環境が守られる重要なポイントと「真の」民主主義
この国で環境が守られるのに最も重要なポイントは「合理的な精神」つまりすべての意見に理由付けをするという感覚です。日本とは宗教的基盤の違いが大きく、まず我々にはその感覚が身に付いていないので、日本でこの環境法そのものが成り立つことは大変難しいでしょう。我々はボランティアを組織して相互に助け合って行くということをあまりしないし、自らボランティアを買って出るということもあまり一般的ではありません。隣近所や町内会など日頃の付き合いも、実はこれまでの習慣だからとか近所の目が気になるから、などと仕方なくやっているだけだったりします。
一方、ニュージーランドでは独居老人など社会的弱者に対し、同じ立場の老人や近所の人たちが気遣うのが自然で、これも当然のこととして日常的に行われています。日本でもニュージーランドでも起きる問題は同じなのに、日本では弱い者を切り捨てることで解決しようとし、反対にニュージーランドでは弱きを何とか助けようとするのです。ニュージーランドという国について学び、私は日本にいて語る民主主義とは所詮、少数のエリートによるスローガンに過ぎないということに気付きました。ニュージーランドでは、自分の意見をしっかり持ち、それを公共の場で発表することがまったく恥ずかしいことではなく、むしろ当たり前のことなのですが、日本ではすぐ偽善者だと指摘されてしまうのです。
法律には一般的に2種類あり、そのうち内容を決めるものを実体法といい、また刑罰などにかけるその手続きについて決めるものを手続法といいます。日本は環境基準を細かく決める実体法については得意なのですが、その手続きについて決める法律がありません。いかに環境を守るのかという手続きがニュージーランドの環境法の本質といえます。環境法の基本にはまず第一に住民への情報通知、開発計画の通達の義務。第二
に公聴会を開く義務。そして第三にすべての住民の同意があります。この3つがあって初めてニュージーランドの環境は守られるのです。環境オンブズマンの制度も充実しているし、また事業や法律が猶予期間内に実施されないと廃止させられるサンセット法もアメリカの環境法の半分(2〜3年)の期間しか認めていません。これほど完全で、進んだ環境法は世界中探してもないといえるでしょう。
インタビューを終えて
緑豊かな牧草地帯と放牧されている羊たちの群れ…誰もが思い描くであろう、典型的なニュージーランドの風景である。こののどかな風景が守られている根底には、愛する「ふるさと」の姿を次世代まで守り抜こうとする国民の惜しみない努力がある。宗教的基盤の違いは大きいにしろ、「ふるさと」を愛する気持ちは私たち日本人の中にもあるはず。そんな純粋な気持ちを実感として持ち始めることが、小さいながらも環境保護を世の中に訴えていく第一歩なのではないだろうか。
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